更新日:2021年11月11日
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東シナ海側から南へと連なる長雲山系と、太平洋側から続くジョウゴ山系に挟まれた平地に展開する集落です。昭和40年に役場の庁舎が瀬留集落から現在の位置に移設され、以降、昭和50年の町制施行の時期にかけて、人口が増加しました。
龍南中学校、中央公民館や保健福祉センター、体育文化センターなどの公共施設に加えて、医療機関や金融機関などが建ち、町の中心部として発展してきました。
荒波地区、赤尾木地区、内場地区に分岐する交通の要衝、役場前の交差点のそばには、「テリャ」と呼ばれる小高い丘があります。この丘の下には「とおしめ」があり、次のような伝承が残っています。
奄美の開拓王「田畑佐文仁」が干拓工事を行った際に、堤が決壊してなかなかうまくいかないので、70人いる人夫を集めて尋ねてみると、人夫の一人が「縦じまの着物に横じまの布で継ぎ当てをしている人を人柱にするとよい。」と言い、探してみると、当の本人であったので、その人夫が人柱になり、干拓は成功したと言われています。
また、浦の人々は、何事に対しても一生懸命努力をするということから、「ウラコンジョウ」という言葉があります。大阪地裁判事、衆議院議員、和歌山県知事を歴任した名誉町民「金井正夫氏」は、そういう浦集落の気風が育んだと言えるでしょう。
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