更新日:2021年11月11日
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北部大島を南北に縦断する山並みのほぼ中央には本茶峠が位置しています。つづら折りの旧国道58号線が、この峠の山すそを這いながら平地に下りてきたところに、民家が点在しており、それが川内集落です。
もともと川内集落は大勝集落の一地区でしたが、戦後の米軍統治下の時代に大勝から行政分離されました。かつては山間の奥深くまで畑地が広がり、さとうきびの収穫量が多かったため、本来、集落単位で持っていた砂糖の貯蔵庫を川内は独自で保有していたと言われています。
地名の由来は、同集落と同様の立地条件、すなわち山間深く奥まったところに位置する集落が、川内と称していることなどから、地形的なものにその理由があると言われています。
我が国最初の司法試験に合格して検事となり、鹿児島商社と裁判所内部の汚職に対して徹底的に闘った、岡程良(おかていりょう)は川内の出身です。そして、「唐通事(とうつうじ)※」で西郷隆盛との交流もあった、祖父の岡程進儀(おかていしんぎ)とともに、同集落にある岡一族の墓地で眠っています。
※江戸時代に置かれた役職で、中国語の通訳
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