更新日:2022年1月24日
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泉二新熊(もとじ しんくま)
1876年~1947年 中勝出身
戸口の小学校、名瀬の小学校に通い、高等小学校1年を修了
1890年 15歳、上京し郁文館中学入学
1894年 郁文館中学卒業、主席、鹿児島高等中学(造士館)予科、熊本第五高等学校を経て
1902年 東京帝国大学法科大学独法科を卒業27歳、法学士(奄美で2番目)となる
京都帝国大学法科講師
司法官試補
1905年 東京区裁判所検事兼東京地方裁判所検事
1927年 刑事局長
1936年 検事総長
1939年 司法官最高位の大審院長(最高裁判官)
1941年 40年間の司法官生活を終えて定年退官
1942年 天皇の諮問機関である枢密院顧問官に親任される
1899年 大島郡青年会を創立
1908年 戦後21年までの38年間東京奄美会会長
「日本刑法論」出版
1911年 「刑法大要」出版
1919年 終戦までの36年間奄美奨学金会理事長
2005年 龍郷町名誉町民
京都帝国大学法科講師、司法官試補、東京区裁判所検事兼東京地方裁判所検事、刑事局長、検事総長、大審院長(最高裁判官)、枢密院顧問官を歴任する。
多年にわたり法曹界の要職にあり、激務のかたわら大島郡青年会を創立し、東京奄美会会長・奄美奨学会理事長を務めるなど郷土出身者の育成にも尽くされた。
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