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更新日:2022年1月14日

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白糖工場跡

慶応元(1865)年薩摩藩は、イギリス人ガラパ、オランダ人オートロスとマキンタイラーを技師に招き、白糖(はくとう)製造のため工場を設置しました。
工場は現在の龍郷町瀬留、奄美市名瀬金久、宇検村須古(すこ)、瀬戸内町久慈(くじ)の四カ所に建てられました。
瀬留工場は,通称キカイといわれている旧役場向かいの敷地であったといわれています。
吏員(りいん)・通訳など約百人で製糖に着手しました。
最初は成績も良かったようですが、原料や燃料の不足、社会情勢の変化などにより2~3年で廃止になりました。
現在、瀬留工場に使ったレンガの一部が残っています。
この工場の跡地付近では、当時燃料として使用していた石炭が土中から出てくるという記録が昭和63年頃に残されています。

Remains of the White Sugar Factory

In 1865, the Satsuma Clan, who governed Amami-Oshima at the time, invited foreign engineers and built four white sugar factories in Amami. One of them was built in Sedome.
These factories ran, however, only for two to three years. A number of bricks engraved with alphabet letters were found in the factory remains.

所在地

〒894-0102鹿児島県大島郡龍郷町瀬留

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瀬留工場で使用されたレンガ

白糖工場跡

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