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更新日:2022年1月24日

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 名誉町民02大島信

大島信

大島 信(おおしま しん)

1853年~1899年 中勝出身

経歴

1871年 上鹿して本学校(造士館)に学ぶ
1877年 藩閥の本校造士館を卒業
東京大学農学部の前身、駒場農学校に入り、専修学校(専修大)で法律・理財学を学ぶ
卒業後埼玉県庁勤務を経て内務省出仕

1887年 「大島郡糖業意見書」を書き上げる
1892年 衆議院議員に就任
1898年 衆議院議員退任(3期、6年)
佐賀県東松浦郡長となる

表彰

2005年 龍郷町名誉町民

功績

父は富和志、母は愛千代。母の実家は龍郷の龍家であり、信が幼い頃、西郷隆盛から「正熊カナ」と呼ばれ、かわいがられていた。1871には上鹿し、本学校へ進学。当時差別的に奄美の人が一文字姓だった中、学年一番の成績であった信(当時は信正熊)には二文字姓が許され、大島出身であることから大島信となった。
奄美初の中央官庁役人であった信を島の人たちは頼りにしていました。そして奄美の糖業改良と流通改善ため書き上げたのが「大島郡糖業意見」です。
1892年には衆議院議員に就任。奄美に海底電信が引かれたのは成果の一つである。
1899年3月、数え47歳の若さで死去。東京から島を想い、奄美群島の振興に尽くしてきた信には、後進子弟の指導にも心血を注ぎ人材の町龍郷の道をつけた。彼を慕う在京の青年たちの中から奄美青年会が生まれ、のちの東京奄美会の母体になったといわれている。

◇参考文献◇『郷土の先人に学ぶ』文芸プリント社1981年-大山麟五郎.「郷土愛に燃え、奄美に海底電信を通し、糖業の振興と流通改善に努力した大島信」

写真1

写真2.

2018年11月に中勝で行われた「大島信生誕165年祭」には多くの親族も集まった。

 

お問い合わせ

龍郷町役場 総務課

894-0192 鹿児島県大島郡龍郷町浦110番地

電話:0997-69-4511

ファックス:0997-62-2535

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