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更新日:2022年1月14日

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無線塔

無線塔は,昭和13年に開設された赤(あか)尾木(おぎ)送受信所(そうじゅしんじょ)(以下,送受信所)の存在を証明し,同時にアジア太平洋戦争の傷跡(きずあと)を今に伝えています。当初は10基ありましたが,今では3基のみが残っています。
奄美の孤島(ことう)苦(く)を救い,産業(さんぎょう)振興(しんこう)に寄(き)与(よ)してほしいという島民の大きな期待を受けて,送受信所は開設されました。しかし,アジア太平洋戦争での米軍機の攻撃によって,昭和20年4月に通信施設が破壊されました。この送受信所に対する攻撃は,赤尾木の住民にも被害を及ぼし,送受信所の職員の妻子2人が機銃(きじゅう)掃射(そうしゃ)で死亡しました。また,度重なる空襲によって,龍郷村内の学校ではただ一カ所だけ赤徳国民学校が昭和20年5月の空襲で全焼し,集落の約3割も焼失しました。
送受信所は,終戦後昭和22年には復旧し,その後名瀬(なぜ)統制(とうせい)無線(むせん)中継所(ちゅうけいじょ)赤(あか)尾木(おぎ)分室(ぶんしつ)となり,昭和37年8月まで続きました。

所在地

〒894-0411 鹿児島県大島郡龍郷町赤尾木

受信所

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