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更新日:2022年1月14日

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手広遺跡

手広遺跡は町道大美~赤尾木線の手広橋付近の太平洋沿岸に形成された小規模な海岸砂丘地に位置しています。昭和52年に土器片が発見され,昭和53年に龍郷町教育委員会と奄美考古学会によって,昭和59年には熊本大学考古学研究室を主体とする調査団によって,2回にわたる発掘調査が行われました。
遺物を包んでいる層は7つの文化層からなり,遺構(いこう)には弧状(こじょう)配列(はいれつ)ピット(第1文化層-兼久式土器(かねくきどき)に伴う平地(へいち)住居(じゅうきょ)跡(あと)),石組(いしぐみ)遺構(いこう)(第3文化層-3基のうち1・2号は住居(じゅうきょ)跡(あと)が想定できます。第6文化層-1基),集石遺構(しゅうせきいこう)(第3,第7文化層)等が見つかっています。
遺物としては,兼(かね)久(く)式(しき)土器(どき)(第1文化層),刻目突帯文類似土器(きざみめとったいもんるいじどき)・板付類似土器(いたづけるいじどき)・長頸壺形土器(ちょうけいつぼがたどき)・外耳(がいじ)土器(どき)等(第2文化層),リボン突起付(とっきつ)き土器・長頸壺形土器(ちょうけいつぼがたどき)・丹塗研磨壺形土器(にぬりけんまつぼがたどき)等(第3文化層),カヤウチバンタ式類似(るいじ)土器・台付(だいつき)土器(どき)(第4文化層),宇宿上層式土器(うしゅくじょうそうしきどき)・喜念(きねん)Ⅰ式(しき)土器(どき)・条痕文土器(じょうこんもんどき)・黒色研磨土器(こくしょくけんまどき)(第5文化層),面縄西洞式土器(おもなわせいどうしきどき)・浅鉢形土器(あさばちがたどき)・壺形土器(つぼがたどき)・外耳(がいじ)土器(どき)(第6文化層),嘉徳(かとく)Ⅰ・Ⅱ式(しき)土器(どき)(第7文化層)が出土しています。これらの遺物から弥生時代前期から縄文時代後・晩期を中心とした遺跡であることが分かります。その他,ヤコウガイ・オオツタノハガイ製の貝輪,チャート製の石鏃(せきぞく),石槍状(せきそうじょう)の石器,クガニ石などが出土しています。

手広海岸

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