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更新日:2021年3月29日

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行盛神社(上り口)

文治元(1185)年、壇ノ浦(だんのうら)の戦いに破れた平家一族の平資盛(たいらのすけもり)【重盛の子】・有盛(ありもり)【資盛の弟】・行盛(ゆきもり)【重盛の弟の子】の一行が南島に落ち延びたという伝承があります。
一行は喜界島を経て奄美大島に渡り全島を平定し、うち資盛は加計呂麻島の諸鈍(しょどん)【瀬戸内町】、有盛は浦上(うらがみ)【奄美市名瀬】、行盛は戸口にそれぞれ城を構えて源氏の来島に備えました。
また、遠見番(とおみばん)として今井権太夫(いまいごんたゆう)を安木屋場に、蒲生左衛門(がもうさえもん)を笠利の屋仁崎(やにざき)に召し置き、警護に当たらせたといわれています。
もともと、行盛神社はヒラキ山に祭られていたようです。
しかし、戸口の港に出入りする船や沖合を航行する船の難破が続いたことから、これは滅亡した平家一族の祟りだと恐れられ、現在の地へ移し替えられたといわれています。
現在の社殿は、昭和41年にコンクリート製の社に建て替えられたものです。

所在地

〒894-0107鹿児島県大島郡龍郷町戸口

行盛神社の社殿

戸口の港

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