更新日:2021年3月29日
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ヒラキ山遺跡は、龍郷町戸口字上天川にあり、中戸口集落にある戸口小学校の北側に隣接した標高約30mのマージ(赤土)層の畑地に位置しています。
伝承では昔、この丘は「モリヤマ」と呼ばれていましたが、壇ノ浦の戦いで敗れた平家の一族が戸口に来て、この丘を薙(な)いで城を築いたので、集落の人達はこの丘を「ナギヤマ」と呼ぶようになりました。
やがて島に来た平家一族も滅亡し、丘は荒れ果て松やシイの木がうっそうと生い茂り、昭和40年頃まで集落の人々がよくシイの実拾いを行っていました。
また、カミサママツィ(妖火)や平家の亡霊の出る所でもあったといわれています。
その後、幕末に龍郷に流された西郷隆盛が戸口を訪れた際、この話を聞いて、松やシイの木を切り倒し、丘を開いて畑を作ったことから「ヒラキヤマ」と呼ばれるようになったそうです。
昭和44年、松元雅明氏を団長とする熊本大学考古学調査団がヒラキ山遺跡の発掘調査を行いました。
発掘調査の結果、遺構からは、南宋・元・明の青磁・白磁・染付(そめつけ)の破片や南蛮(なんばん)陶磁器が出土しました。
また、ここでは火事が二度あったことも確認されました。
出土した南宋(なんそう)磁器は南宋の官窯(かんよう)(国家直営の窯)で焼かれたものと考えられ、南蛮陶器片も混じっていることから、南宋との貿易によってもたらされたものと考えられます。
所在地 〒894-0107鹿児島県大島郡龍郷町戸口 |