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更新日:2022年1月14日

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とおしめ

龍郷町役場前の三叉路から笠利に向かって国道58号線が走っていますが、ここは三百間土手と呼ばれているところです。
波打ち際には石が積まれ、土手が築かれており、笠利方面に向かって右側には松が生えています。
土手の内側に面積にして約20ヘクタールの土地を造成しました。
土手が築かれる以前は、浦田袋(うらたぶくろ)は全て海で、浦墓地近くまでが干潟であったと伝えられています。
田畑佐文仁は、壮年の頃国分で新田開発の技術を学び、正徳2(1712)年から田畑開発の工事に着手しました。
この三百間土手もこの時代に築かれたものです。
当初は、ミキュン崎(玉之崎)付近から対岸の瀬留川の河口に向かって堤防を築き、その内側を干拓しようという計画であったようです。
しかし当初の計画は海水の流れや波風等によって堤防が幾度となく崩れ、実現には至りませんでした。
奄美では、トンネルのことを「とおしめ」と呼んでいますが、現在町役場前の三叉路を笠利に向かって左手の方に小高い丘があります。
田畑佐文仁はこの丘の下にトンネルを通しました。
三百間土手の内側の新田を作るために海水の出入りを調節するための「とおしめ」を掘ったのです。

Toshime

In Amami-Oshima, tunnels are called Toshime.
SabunjiTabata, a civil engineer, built a tunnel through a hill to control the flow of sea water in order to cultivate new rice fields inside a bank called Sanbyakken Dote (600-yard bank).

所在地

〒894-0103鹿児島県大島郡龍郷町玉里

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とおしめの丘

浦の松原

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