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更新日:2019年1月9日

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瀬留カトリック教会

桁(けた)行(ゆき)20m梁間(はりま)11m規模,北側を寄棟造(よせむねづくり),南側を入母屋造(いりもやづくり)とし,南面に切妻造(きりづまづくり)の玄関を突出させた教会堂で,外部は下見(したみ)板張(いたばり)としています。正面外観は大きく改造されていますが,内部は3廊式で,身廊部(しんろうぶ)を高くし側廊ともに平天井を張り,創建時の面影をよく留めています。
当時はカトリックと呼ばないで天主(てんしゅ)公(こう)教会(きょうかい)といいました。瀬留では郡山為業氏の亡兄が明治30(1898)年に洗礼を受け,また,翌年大司嶺円氏が4歳の時,フランス人宣教師ジシャル神父によって洗礼(せんれい)を受けています。
この頃,瀬留にカトリック教が布教されたと思われます。25,6世帯のうち,1回目は4家族,2回目は15家族の人々が洗礼を受けたといわれています。明治41(1908)年5月,現在の教会の落成式が行われ,当時,きれいなシマグチを話すブィジュ神父がいました。大正7(1918)年には400余りの信徒数に増え,布教はさらに広がっていきましたが,昭和9年カトリック排撃(はいげき)運動(うんどう)が起こり,教会閉鎖となりました。昭和11年,角和少佐が古仁屋の要塞司令部から思想弾圧に来たといわれ,カトリックを放棄させるための手段として押印をすることを指摘しました。昭和12年,接収された教会は青年学校となり,当時の指導者として稲田先生・登先生などがおり,裁縫・国語・農業などを教えたといわれています。
教会堂は,平成20年4月18日に国登録有形文化財になりました。
瀬留カトリック教会司祭館は,教会聖堂の東に位置する,東西棟で建物です。桁(けた)行(ゆき)12m梁間6.0m規模,寄棟造鉄板葺(よせむねづくりてっぱんぶき)の木造2階建で,北側に平屋建の附属屋を突出させています。外部は下見板張に仕上げられています。改造はありますが,教会聖堂とともに奄美大島におけるカトリック布教の足跡の一端を物語っています。

所在地

〒894-0102 鹿児島県大島郡龍郷町瀬留

瀬留カトリック教会内部

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